アマチュア無線のこと(今もやってます)
中学1年生のころにアマチュア無線を始めました。今もしっかりワッチして(聞いて)ます。
しかし、よく何かで紹介されるように、「CQ,CQこちらはJAΦAMI…」などと電波を自分から
飛ばすことはなくなりました。昔から、電話ごっこなどと悪口を言われたり、何が面白いのやら
等と言う批難もされなくなったのですが、その分、エネルギーも無くなったのかもしれません。
情報社会などと言われ便利になった今、確かにケータイ電話のお陰で、昔こうあれば良い
なあ…と思っていたことが、容易に出来るようになったからかも知れません。一生懸命作り上げ
た装置が働いた、遠くまで自分の電波が届いた…と言う楽しみが、あまりにも容易に出来るか
らと自分では理由付けしています。
(画像はまだ使っているトランシーバ類 IC-740,C8900,IC-T90 等 )

今アマチュア無線を始めようとする人にとっては、安くて、高性能の送信機も受信機も簡単に
手に入ります。開局手続きも容易に早く出来てしまいます。
しかし、これらの機械は改造も出来ず、まして壊れても殆どがブラックボックス、修理が簡単に
出来ることは皆無と言っていいでしょう。
電話や通信が好きな少年にとっては楽しい世界でしょう…が、一方作ったり壊したり、電気のこ
とをいっぱい知りたいと言う少年にとっては楽しくない話なのかも知れません…
そんな事を思うのは私だけではないでしょう。反論もありますが、昔のような高耐圧のバリコンを
1つ買おうとしても簡単には手に入りません。手作りのものなら、1万円もするとか聞いてます。
話は飛躍しますが、昔、モノがない時代の「もの作り少年」だった事が自分には大きな財産にな
ったことを感謝しています。今ならさしずめ「ゲーム少年」くらいにしかならなかったでしょう。
我が家には電話もなかった時代でしたが、雑誌で「地球の裏側とも電波で交信できるアマチュ
ア無線の世界…」などと知り、どんなにか燃えたことか…そして、ガラクタを集め、雑誌の切り抜き
を集め、知っている人を頼りにたくさんの人にお世話になり、子どもながら大人の人たちの世界に
揉まれる経験は今考えると何と貴重なことだったでしょう。
昭和30年代の頃ですから、電波はAM波だけ、でも静かな世界でした。無数に電波が飛び交う
現在からは考えられません。わずかな空電(たぶん雷のジーって音だけ?)の合間に、ときおり
聞こえてくる呼び出しの小さな声、小躍りするような出来事でした。
作った装置がキチンと働くとは限りませんから、トラブルの処理にあらゆる手だてを講じました。
これも、今、自分の生き方に大きな影響を与えていると思います。
当時の先輩…とは、年齢が10〜30歳も離れている人です。よく面倒をみてくれたと思います。
町の電気屋さんも仕事の合間に面倒見てくれました。商売の邪魔だったことでしょう。でも、ある
時に「しょうがね〜まあ、奨学金だと思ってくれてやるサ!」って部品もたくさんいただきました。
このご恩を社会にお返し出来てない私が恥ずかしいのですが、しかしやはり書かずには居れま
せん。せめて、何かあったら使えるかな?と思い、昔集めた、真空管、コイル、電鍵、等々たくさん
のガラクタを物置に山積みにしているこの頃です。
お陰様でJAΦAMI は健在です。今、家ではCWを中心として、この古いトランシーバでワッチし
てます。CWは使わないとどんどん忘れてしまいます。惚け防止かな?そしてヨットの上からはUHF
(144と430MHz) でワッチしてます。何か船がトラブッたら「助けて!」って魂胆もあります。
少年等に「ものづくり」や科学の面白さを何時も語っていますが、こんな昔話が役立って欲しい
ものです。
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