平成8年より11年までの4年間を佐渡で過ごした。殆どの人が佐渡で暮らして みて、早い遅いの差はあろうが私と同じような感覚的な成長をするのではないか
…と思うのである。初めは観光コースをざっと 見て佐渡を分かった…と錯覚し、生活の中で次 第にその文化の深さ、そして老人の多い過疎地 の問題などを実感してくると言うパターンであ る。 観光だけで佐渡を訪れた方にはもっと知って もらうために目を通して欲しいし、お世話になっ たお礼にはならない文章ばかりであるが、 ホームグラウンドとしての愛情を込めて、
4年間に書いたモノを載せたい。これまで何か出版物に載せた モノばかりなので断片的であるが、隙間を埋めながら読み進めて いただきたい。
島の希少動物について 5日(H9,12,5のこと)矢田両津郷土博物館長さんのお話を聞いた。内容の面白 さに浸っていたら殆どメモもとらずに過ぎてしまった。 ここに思い出せるモノだけを紹介しよう。ぜひ子どもたちにも何かの折りに伝 え、島の自然に興味をもたせて欲しい。 <サドノウサギ> 先住動物(十万年前から生息)であったが、もう殆ど大佐渡では見かけられな い。現在は絶滅の危機にひんしている。杉の芽を好物とするこのウサギに植林の 敵として天敵のテンを移入したからだ。テンが大佐度スカイラインで見られると 話されているから、追われ追われて生息地の高度を上げ、高千などの稜線のあた りに住んでいるだけかも知れない。小佐渡では野浦や宿根木辺りで目にされてい るようだ。 学校のウサギは家うさぎまたはアナウサギとも言われ、今は家庭で一般的であ ろう。生まれてすぐの様子はよく知っている通り、1ヶ月も毛が生えない。動け ない、目が開かないなどだ。しかし、サドウサギは穴を掘らない、1回に1〜2 子しか生まない。耳は短く、毛が生えて生まれ、すぐに歩くなどの特徴がある。 飼いウサギの染色体数44本に比べ、サドウサギは48本である。氏の博物館で保 護を目的に飼育されている。 <サドキジ> 佐渡のきじは純日本産のきじだ。正確にはキタキジと呼ぶ。猟友会が毎年放す 雑種との混成模様が今の状態。ゆっくりと見てやって欲しい。キタキジの見分け 方は尾羽根の模様がポイント。黒い斑点が左右互い違いになっている。雑種は対 である。またキタキジの方が胸が大きい。1万円札の裏に描かれてあるキジはキ タキジではないか?と思われる。 <サドマイマイ> これは有名だから、ここは省略。 <アサクサノリ> アサクサノリは塩分の薄い河口付近の海で採れるノリで、一般に海で採れるも のはスサビノリと言われる。これは佐渡にも分布し、養殖も可能である。氏はノ リ網を仕入れ(7〜8千円)て海に張る。25〜6 日を経過するとそこに着いたノリ は5〜6万円の収益となると話される。これからの佐渡の特産になると良いと思 う。 <アコヤガイ> 両津湾では大きな貝が見つかるようになってきた。この資源の利用法によって は佐渡産真珠も可能であろう。 <その他> 陸の貝69種の話に及び、ニホンケシガイなど0.3mm 程の標本を見せてもらっ た。海はエゾアワビが佐渡で巨大化し、クロアワビ化しているなど…話が尽きず に時間切れとなった。佐渡の自然の新しさを始めて知った日である。
佐渡観光は民宿経営がきめて 佐渡観光者数がジリ貧なのは誰もが分かっている。何が原因かと議論すれば、 要素が多く、定まるところがない。ただ新潟市民でもない限り島内観光は1泊以 上になること、有名ホテルだけでは夏の宿泊はまかなえないことを考えれば必ず 民宿の問題が挙げられる。そこで、安価な民宿に客を引きつけることが最大の起 爆材となる筈だ。次の私見に目を通して欲しい。 佐渡は歴史・自然堪能型の観光である。しかし歴史や芸能関係を楽しむ観光客 は殆どがにわか歴史家であり、浅い資料や説明で満足してしまう。 佐渡に何日も滞在して楽しむ人に的を絞るなら、親子連れも含め比較的若い年 齢層のニーズを拾わないと難しい。釣りやマリンスポーツ、登山やキャンプなど アウトドアを中心に楽しい思い出を残してもらうことが欠かせない。 若い年齢層はリッチかも知れない。しかし、比較的資金を持っている時は国外 や広い地域の旅行を計画する。数人でしかも格安にわいわい寄り集まって旅を楽 しむこと、こんな旅なら佐渡は格好のエリアとなる。船の旅もエキゾチックで大 勢なら、長い航海時間もなお楽しい。 そこで、若い年齢層が飛びつくような民宿を沢山希望したい。今佐渡は過疎の 地である。多くの民宿は経営者も高齢化してしまい、利用者からの不満が絶えな い。例えば、「施設が古く、不便で不潔だ。」「サービスが悪い。」等の声が一 杯挙がる。新聞の投書覧にも毎年載るがいっこうに改善されないから、リピータ ーが減るのも仕方がない。民宿などは固定客と言うリピーターが命であろう。 河口湖畔に民宿村がある。様々な雰囲気をもったペンションが立ち並ぶ。オー ナーの強い個性が建物や料理などに出ていて、つい来年は隣のペンションに来て みようという気になってしまう。バスやトイレはハーブに溢れ、香りで良い気持 ちだ。とても臭くて恐く、恥ずかしい目をする佐渡の民宿の生活とは比較になら ない。 経済的に豊かになった今、快適な食住の生活のレベルが何処にあるのかを佐渡 の観光関係者は分析して欲しい。旅に出て、日常生活よりも低度の食住には金を 支払う気力が涌かないと言うのである。 これは蛇足。フェリー料金が高いのは観光の足かせである。佐渡から出る場合 無料にするのはいかがか?佐渡に来た者は必ず帰るのだから、「よく来たね。帰 りはサービスだよ」って親切の押し売り。話題性があると思う。
町PTA研修会「佐渡で創れ」から 昨年7月11日、町文化会館で表題のトーク&演奏会が催されました。児童・ 生徒や先生方を含めて100名以上の参加者がありました。篠笛の幽玄な響きで始 まったこの会も次第に参加していた子ども達がのってくれて、楽しく盛り上がり ました。トーク&演奏の狩野泰一氏は '63 年東京生まれ、世界20カ国で千回以上の公演をするなど実力の持ち主ですが、 何と言っても佐渡を愛し、佐渡に生活しているから説得力があります。「東京に 1回くらい行くのはいいが、そこにあるものってダサイもんばかりだよ。佐渡に はスッゴイものばかりがいっぱいある。能にしろ、民謡にしろ、いっぱいの文化 財は世界中どこででも本物の素晴らしさを認めてくれる筈だ。それらを大切にし、 佐渡から世界に発信して行こう!」とか「今、歴史的に受け継がれてきたものが 継承されずに、この数年で消えようとしている。」と警告も発して いました。もう殆ど歌われなくなった「小木追分け」を歌ってくれたり、津軽の 三味線を演奏してくれたりと多才な音の世界にうっとりしていると、時間はあっ という間になくなってしまいました。どうか参加出来なかった方は氏が出してい るCD「UMINARI」をお聞きください。 ギター・ベース・パーカッション・ピアノと日本の笛との心地よいサウンドが耳に響いてきま すよ。 (蔦屋にコーナーがあります)PTA 会長と、私は会の後一緒に食事会に出ました。 そこで 「何年かかっても一つのこともできないのに、狩野さんは短時間に数え切れない 程の楽器をマスターしています。これは才能の違いですか?」と聞きました。 「いやあ、1年で笛が吹けないと食えなくなるわけですから必死でした。食える かどうか、がかかっていると何でもできるものですよ。」といともあっさりと答 えられてしまいました。でも三味線や尺八なんておあいそであって、全く下手の 部類なんだそうです。「津軽に行ってみてください。中学生なんて私の数段上を 行く子ばかりですから…」と熱っぽく語っておられました。ついでにトキの 話題も出しました。自然の中にトキが羽ばたくのでなければ良いニュースにはな りませんよね。どうも互いに「トキブーム」に載せられた感がないわけでもない ですね…と。郷土を守ること、文化や子どもの将来のこと等々沢山の事を考えさ せられた時間でした。
かもめの研究? 明るい時に佐渡汽船に乗っているとかもめが船を追いかけて来る。船が20ノッ トの速さだと聞くから、少なくとも時速36Km以上で飛んでいることになる。 人間なら100mを10秒で走るのと同じだから、全速力でも追いつかない速さだ。 カッパエビせんを側舷に突き出すと必死になってついばんで行く。そこで、子 ども心がパーと湧いてきたのである。カッパエビせんではなく何かもっといっぱ いの餌がないかな…である。土曜日の乗船に備えて給食の残りのパンを7〜8個 鞄に詰めた。1個を取り出すとワーっと寄ってきた。50羽くらいは群がったであ ろうか。次にいたずら心が出て来る。餌を渡す振りしてフェントをかける。何度 でもひっかかる。早く投げてよこせと、目で脇を見ながら真っ直ぐに飛んでいる。 力いっぱい投げると、その数メートル先の鳥がキャッチしてしまう。パンが口 ばしより少し後ろに飛んでいくと羽を進行方向に立てて急ブレーキだ。喰っても 1秒位でまた戦線に復帰する、どん欲なこと。ついでに何でも投げてみる。ガム あめ、柿これは食べる。どさくさに紛れて投げタバコもくわえはするが喰わない。 辺りが暗くなり、照度が下がるとさすがに投げたパンを捉え難そうだ。パンの ばらまきを止めると上空で集団を作り帰ろうとする。しかしパンをいっぱい持っ ている私、帰り際にまたパッと撒く、するとまた集団が崩れる。これは愉快だ。 帰宅が遅れ、叱られたことかも知れない。同船の沢山の子どもを楽しませたが、 一番楽しんだのは自分だったであろう。皆様もお試しあれ。
佐渡についてガス屋さんとの話 作業中の短い時間にいろいろな話を聞くことができた。畑野町の先生方は住宅 には恵まれている(しかし住宅と商店が離れており、不便な面も多い)。金井町 も真剣に職員のケアを考えなければならないのではないだろうか…とか、教職員 を含めて佐渡の住民となった若者には在住の間に、せめて「佐渡の面白さ」を満 喫していって欲しいと願っている。そんな話であった。 話は「センセ、こんなに道具を持ち込んで楽しんでますね。」と話かけられた ことから始まった。訪ねた住宅では先生方が皆口を揃えて「佐渡は何もなくて息 が詰まる。早く佐渡から出たい。」と言うそうだ。分からないでもない。ないも のを挙げれば切りがないからだ。地理的な理由を見つければキリがないだろう。 それが教師では少し心もとないと思うのだ。「自分の郷土を愛せよ…」と子ど もに話す言葉に力が入っていないのではないだろうか。 「でもね、自然でも、芸能でものめり込むと何でも深いモノがありますよね。」 と言う具体的な話になると彼から教えて貰う事ばかりだった。 この方は「佐渡を楽しんで欲しい。」と謙虚に話されるが、それだけに留まら ず、私は「佐渡に居た…という足跡を残して欲しい。」とよく先輩諸氏に言われ る。段階的には前者がまず第一段階。次に後者の段階へとなるのだろう。 このことは地域エゴでも何でもない、「佐渡」と言う言葉を何処でもよい、自 分の勤務地の言葉に入れ替えて誰もが考え、常に明らかにしておかなければなら ない大きな事柄である。
寂しい佐渡の問題 佐渡の人口と車の保有台数はほぼ同じだと言う。確かにトラックまで入れると 5台も車を持っている家もザラである。一人一台である。 このことが佐渡の特色の一つと私は思っている。例えば自家用車が多いことは 公共交通機関の少ないのが原因である。これは過疎地の象徴で、ゆえに酒酔い運 転が減らず、運転マナー悪化の原因ともなっている。風が吹けば桶屋が…の例え と同じである。そしてまだまだ深刻な問題も伺える。 10月には生涯学習フェステバルがあった。これからの佐渡をどう考えるか… と熱い論議が闘わされた。自然保護と島の活性化の課題こそ、島民でなくとも大 きな関心事である。 根無し草のような生活をしている私。自身を振り返ると生まれ育った故郷の自 然と同様、絡まっている家族の問題が仕事の中にも見え隠れして来る。 私にとってまさに自身の生き方を問われる佐渡勤務であり、学校でも保護者の 苦しみを見る度に身を削られる思いがする。 子どもが年寄りと一緒に暮らす、三世代の家族構成がうらやましい。それなの に私の関わっている子どもたちの家は、育て方でも恐ろしいいがみ合いをしてい る。 佐渡の女性像とは農業をし、母として、職業婦人として活躍している姿だ。本 当に敬意を表する。しかし、それでも子どもが曲がってしまった家もある。 Tさんの祖母が校長宛に電話してくる。「母親は子どもと一緒に食事をしたこ とがないのです。子どもの栄養が偏っていると伝えれば、『私は看護婦ですヨ! 分かってますから』っと恐ろしい返事が返ってくるのです。若い者の気が知れま ん。」聞けばだんだん気が重くなってくる。 新潟なら団地一つ位の広い土地と屋敷。隣と雑談することも難しい家に嫁いだ 母親は確かに気の毒だ。立派な家とそれを守ってきた義母の冷たい会話。この中 から豊かな心の子どもは無理なのか、萎えてしまっている。登校拒否である。 新居に年寄りが入ってくれず、別居生活の家庭もある。心配である。 また、毎日学校へ飛んで来てくれる祖母もいる。よく子どもの面倒を見、叱っ てくれる姿が頼もしい。退職金も若手に随分融通してやったそうだ。ところが子 ども達は母親の愛情不足か、喘息で入院ばかり繰り返している。入院すれば親の 愛情が独占できるからだろう。でもそればかりではなさそうだ。母親が実家から お金を援助してもらって店を持つ動きがあるからだ。金の話は複雑である。愛憎 劇が子どもの情緒に影響していることを伝えたい。しかし分かってくれるかどう か心もとない。 私ももし田舎に放り投げている両親と共に生活することになれば「車5台にト ラクター」が自分のこととなるだろう。しかし、奥方との人間関係は絶望であろ う。「老人を大切に」と話をし、共生の大切さを説きながら誠に恥ずかしい教師 である。 同年齢のIは佐渡を捨てた。夏、島に残っている親父と両津湾で船遊 びしている姿は痛ましい。何故女房や子どもは佐渡に来てくれないのだろうか。 大倉修吾氏は12月の講演で「また入れ歯を落としたのか?」(また買わねばな らんじゃないか)と自分の母を責める男の後ろに妻の陰がちらつく話をおかしく 語った。 生活と老人問題…何処にもあるだろう古い話が佐渡では鮮明に浮き出て来る。 PTA役員には人もうらやむ職業を捨てて都会から佐渡に戻って来た方がいる。 一個幾らの仕事でも我慢できなけりゃ佐渡には住めない…と語る。挙げ句、最 近は親と離れて佐和田で暮らす事になった。「あの人には芯がないのです。」と 言う奥方の言葉と大倉氏の話がダブってしまう。 越後から嫁に来た或方は「まだ、後悔しているかも知れません。」と話す。 (おのろけもあろうが)先日は若い女達が部落演芸会に恥ずかしい衣装で踊る練 習を張り切っていることに寂寥感を感じたと話する。真剣に踊るまでのめり込め たらその人はそれで幸せになるのだろうか。 土地に根付いた生き方とは何だろうと悩んでしまう。 或母親が私の宿に電話をかけてきた。1回目は泣いて、2回目は子どもにかけ させて、自分は陰の声として最後まで振る舞った。不敏な子どもを可愛がって欲 しいと言う主張らしい。担任を通り越して何故校長に「世界一不幸(?)な主人公」 の話をするのか、このいたずら電話の類に怒りを感じてしまった。翌日学校へ来 て頂いたのは言うまでもない。「酒乱の夫の話を聞きたくはありません。別れて 暮らして立派に子どもを育てている人が周りにいるではないですか?こんな事が いたずら電話をする理由になるのですか?貴方の人生は貴方が判断して決めてく ださい。学校は相談所ではありません。迷惑です。」っとまた泣かせてしまった。 オヤジの悪口を校長が言ったら命も危ない。オヤジはちょっとした…のだから。 もうこの程度の話をあげるだけで十分子どもが病んでしまう環境を説明出来た と思う。 私にとって、苦しみながら三世代が何とか暮らしている家庭は尊敬である。 そんな中でしたたかに頑張っているオヤジやカアチャンにエールを送りたいの である。
トライアスロンの応援に職員一同で燃えました ゼッケン3021番を応援お願いします! 9月5日(日)の佐渡国際トライアスロン大会に4年学級担任の磯部 貴代先生 が出場します。今年はAタイプ出場ですから、全島をバイクで走る過酷なレースに 挑戦します。 スイムが3.9km(スタート6時15分) バイクが190km ランが42.195km 全部で 236.095km となります。ゴールは21時頃(?)と思います。応援お願いします。 校長室便りより(9月7日号) トライアスロンの感動を有り難うございました。ここに(本人には無断ですが) 本間教頭さんと金子さんからのメールを掲載させていただきます。 【本間教頭さんから】 応援本当にお疲れさまでした。大変な一日でしたね。私は家の近くのファミリー オ佐渡相川への入り口の所で応援(見て)いました。 丁度8時48分に磯部先生が通過していきました。その10数分前にバイクで校 長先生が通過したのですが,声を掛ける間がありませんでした。 佐藤先生から応援予定の地図を送ってもらったので,出掛けようとも思いました が,午後からは家の桜に大発生した毛虫駆除のため,残念ながらランの方は全く見 る(応援)することはできませんでした。一日本当にご苦労さまでした。明日はい ろいろな話で盛り上がることと思います。では。 【金子さんから】 校長先生が率先して応援してくれるおかげで、私まで楽しませていただきました。 有り難うございました。 佐渡一週されてさぞお疲れのことと思います。途中ばて気味のようでしたのでち ょっと心配しましたが、その分ゴールしたときはまた、うれしさも倍増という感じ ですね。お疲れさまでした。 【本間教頭さんから】 一人の人間のレース(闘争心?)をみんなで見守り,その結果を全員で共有す る,本当に素晴らしいことだと思っています。また,それを元にああでもないこう でもないとお互いに無責任なことを言い合うことは,それ以上に面白く且つ楽しい ことだと考えています。 さて,今日の日報佐渡版は,写真入りで大きく取り上げていましたが,大した持 久力と体力だと感嘆しています。それにしても新聞というのはどうしてその人の年 齢まで書くんでしょうかねえ。書かれて迷惑な人もいるだろうに・・・・,などと 余計なことを考えてしまいました。では。
佐渡物語(私の偏見から…) 両津発5:30の船に乗ったことがあるだろうか。これこそ佐渡の縮図と言える様々 な光景が目に飛び込んでくるのだ。 先ず第一は真っ暗な通路を歩いて行くと、いきなり煌々と輝く待合室に佐渡弁が 飛び交う。思い思いの服装の老若男女が所狭しと出立を待っているのだ。 突然、挨拶もなく、親しく話しかける人達の姿から、独特の仲間意識が感じられ る事もある。「何処へ行くんだか?」「孫の所さ…」そう言えば手提げ鞄が2つも ある。 新聞紙に包まれたネギの頭が見えるから、きっと中はみんな野菜なのかも知れな い。 この人は私と一緒に本線をバスに乗ってきたのだ。暗い電球の下で、皆黙ってバ スを待っていたのだ。定期バスが4:30に走っている新潟県って、ここ以外にあるだ ろうか。 きっと第二土曜日だから皆休みで、「おばあちゃん、遊びに来ていいよ。」と言 われた日を首を長くして待っていたに違いない。嬉しそうな婆ちゃん。だけど、そ んなに喜んでいいのかな。どうせ孫の所に行っても、オモチャピストルで弾をバン バン撃たれたりと遊びの相手にされたあげく、お小遣いをねだられるのである。 婆ちゃんの息子はゴルフに出かけて居ない。 子どもの母親からは「お婆ちゃん、今日は泊まって行くのですか?」さっきから 雰囲気を察しているから「いいや、6時の船で帰るて…」と答えてしまう。 夕方6:20発の船を待つ行列は長い。単身赴任のおじさんはまあいいが、1時間も 前に4列の集団は改札口から50mにもなってしまう。中には疲れ果てたお年寄りがと りわけ多い。目をしばたかせて、早く腰を下ろせればいいんだがなあ…と言う位が セキの山である。乗り込めたら後はゆっくり眠れるからである。 2等、島の人間は \3,060 の往復船賃である。 外海府の道路を車で走ったことがあるだろうか?観光シーズンでもなければ30分 は対向車と会わない。猫と老人くらいである。 籠を背負ったお爺さんが一人、100m を5分もかかって歩いている。 ン、もう少し歳取ったら自分も住みたい島である。
「旅のモンの一言」 佐渡に住んで4年も経つ。日曜毎に船に乗るから佐渡の人間にはしてもらえないの かも知れない。それでも日曜日、3時の船で佐渡に向かうにはお昼をとるともう家を 出かけなければならない。鼓童の井上さんはいつまで経っても「旅のモン」と言われ るのが悲しいと述べられていたが、私も同感である。何度か「越後から来ているセン セは不熱心…」と言う言葉にくくられて苦い思いをしている。何処にも不熱心な者は 居るだろうが、うっかりミスも全てこの言葉にくくられて仲間にされてしまう怖さは 毎日が踏み絵の前に立っているような心地であった。心底もっと開けた交流がもてな いものか残念である。 大体に島のモンと旅のモンなどの区別はないのである。詳しく言えば、皆旅のモン と言ってもいいではないか。 私が越後に戻る事もあるだろうが、積年の恨みの如くお返しをするようでは全くこ んな事を書く資格はないと思う。沢山の文化財や老人問題や地域とのネットワーク作 りなど学ばせていただいたものは多過ぎて数えられない。 学校の裏のスキー場でスノーボードを初めて履いたのも4年前である。今は自慢で はないが若者にはちょっと負けない腕前である。 あれもこれもこれに比してただ、ただ有り難うと言う言葉しかないのは辛い気持で ある。 ここに重ねてその気持ちを言葉に表せたら幸いだと思いペンを握っている。 さて、この紙面は佐渡の教育に…が目的であろうから、体験から繰り返し主張した いことを書かせていただきたい。 【これからは小規模校化を】 当校も児童が少なく、小規模校にカウントされるのであろう。義務教育課管理企画 係から調査がきた。 少子化にともなって、教員の兼務や合同授業(?)などをこれか ら模索していく方向で対策が講じられるのであるが、その事について考えを書くとい うものである。いろいろな設問に私は「積極的ではないが仕方ないこと。」と苦し紛 れの回答をした。 要は行政から見れば小規模化が悪いように見られるが、本当にそうなのかどうかを もっと下から議論しないと、学校の併合や合理化策が必要である事が前提となってい て危険だ。 最後に自由記述の欄があったので、次のようなことを書いた。 「子どもの育つ環境と言う面では小規模校がむしろ個性を伸ばし、人間性を尊重した 教育ができる。このような小規模校の存在を危うくするものは予算削減や種々の合理 化策であろう。今の時代であるからこそ、十分な人材の配置と物的な裏付けある小規 模校対策ができるし、時代のニーズに合った教育ができるものと確信する。また地域 の教育力にも影響を与え、人材利用が成果を上げるモノと考える。」そして佐渡の大 部分の学校は小規模校であるから、このことの証拠を実践で示さなければならないの であろう。 もちろん小規模校であるが故に体験が無く、鍛えられずにいる教員研修の問題を解 決することが前提での話である。 【三世代家庭が機能していない】 私の居る佐和田郷は僻地に指定されているが、住民の生活感覚は都会である。「僻 地の都会」と言う言葉を多用させてもらってきた。凶悪な事件が続く世相であり、そ の事とは誰もがかけ離れていると認識しているが、実は都会のドス黒い部分を沢山含 んだ出来事が徐々に進行しつつあるからだ。ここが佐渡でも人口が減らないか増加し ているのは、より僻地からの若いファミリーの進出であり、世帯数ばかりが増える現 象からも伺える。 数日間カップラーメンだけ与えられて一人で居る子のこと、子どもの前で金槌で殴 り合った二人、毎日しつけについて不満を電話してくれる祖母、等々例を挙げ切れな い。 今は灰色程度かもしれないが、都会化のドス黒いものを一掃する対策が必要である。 町村政に反映できるシンクタンクを設け、取り組んで欲しいものだ。学童保育やエ ンゼルプランなどが進んでいるが、大人が楽をする施策ではなく、百年先を見ての人 作りの視点が必要であろう。「我町ではゼロ歳からの公的保育はしない。親子のスキ ンシップを深め、子育てを実のあるものにするためにここは我慢をしてもらう!」等 辛口の行政を望んでいるのは私だけではない。 こんな方向こそ流行の波に流されない人作りが出来る。不登校・いじめ解消にもつ ながる地域と学校の将来像をこのように考えている。 【中学校との連携】 二十年以上も中学校に勤務した後に小学校を経験してみると真の連携は出来ないだ ろうとつくづく感じる。連携と言うならば数日でも良いが小学校の職員に中学校で授 業をしてもらうことであろう。子どもの反応や反発を受ける実体験がない限り、子ど もが成長し、変化していく姿を連続して認識できないと断言できる。小学校の教育が 如何に中学校に連続し、影響しているかを直接体験してもらわないと、小学校は変わ らない。教師を医者に例えたら、患者を治してなんぼである。臨床医なのである。破 壊され、出血多量で瀕死の患者は中学校では手遅れで手当の方法がない。それでも三 年間も面倒を見ることは並大抵でないことを何としてでも体験して貰いたいものだ。 九九を覚えない子に因数分解を教えられないことは分かる。単純に中学校で因数分 解を教えた後に小学校へ戻り、九九の授業をやったらどうか…と提案したいのである。 【コンピュータに理解を】 私はメカに強い人…と言われるといい気がしない。使っている私が普通なだけだ。 学校を除けば省力化の為に全てOA化されている昨今である。仕事に使われるメカ 程度は使いこなすように勉強して欲しいのである。いわば自己投資である。これが学 校はダメである。「私は機械には弱くて…」などと平気で認めてもらえるのは学校と いう職場だけだろう。これは管理職(大体が年輩)がそれを認めているからである。 何もダンプを運転しろ、飛行機を飛ばせと言っている訳ではないのだから、ビデオや コンピュータ程度は子どもに負けないで操作してもらいたい。そんな事が出来るよう に勉強する、その姿こそが子どもを引きつけ、学習の必要を気づかせる良いモデルと なるのだ。「こんな小さい学校でコンピュータなんか要りませんよね…。」「佐渡な んてコンピュータで何かするものありますかね…。」佐渡と言う離島であるからこそ 子どもに答えられる教師になって欲しい。学で身を立てた先人が多い所だからこそ、 勉強する教師の姿を見せて欲しいと願うのである。
独断の多い文であり、示された方には反論もあろうと思います。ご意見をいただ ければ、並載いたします。半分笑っていただき、「何処にもある話ではないか?」 と言われそうです。 ことさら佐渡の話って言う訳でもない…かも知れませんね。