退職のご挨拶(奨学金をいただいてきました)

                 新潟市立両川中学校   服部 芳雄

   長い間奨学金をいただいて学んで来ました。ありがとうございました。
    「奨学金」という言葉は中学生の頃に村の電気屋からもらった言葉です。

  その頃ラジオの製作に夢中だった私は村に2店あった電気屋に入り浸り
 で、教えてもらったり、部品をもらったり、子どもの特権をフルに利用し
 ていました。
 「どうせ金など無いんだから村の奨学金にしておく。」と言って多くの大
 人から面倒を見てもらいました。
  お陰様で好きなもの作りにのめり込み、技術・家庭科の教師として退職
 まで趣味と仕事の区別が出来ない様な生活を送って来ました。
  本当に感謝でいっぱいです。
  この時に身につけたうま味は忘れられません。私の行動パターンはこう
 して身についたものです。
  アマチュア無線技士免許も自分の親の様な年齢の人々から手ほどきを受
 けました。
  40代で始めたウインドサーフィンもスノーボードも親身になって面倒
 見てくれる若い人から教えてもらったものです。
  いよいよ退職、休みの増えた分はヨット三昧だとイメージを膨らませて
 います。
  新潟のヨットクラブではまだまだ私は青いのです。
  師匠は78歳のNさん初め、ずらりと並びます。
  遠洋航海、ナイトクルージング、台風回避術などを急いで身につけ、外
 国へ出かける日が待ち遠しい限りです。
  教師時代、部活動で勝ちたくて、夜昼ベテランの胸を借りました。基本
 は生徒理解だと分かったのは勝てるようになってからでした。
  教材開発も先輩の学校に嫌われる程通って、発想の転換が底にあること
 が分かって来ました。パソコン操作術は「物欲話の延長」でした。
  知りたくて相手にぶつかると、何となくそこが教室になって来るのです。
  これらに授業料は支払ったことがありませんが、払えと言われたら、計
 算できない程の大金になるでしょう。
  篠笛奏者の狩野泰一さんは『優れた師匠程、身近に居るものだ。』と言
 われました。彼が佐渡で腕を磨いて世界的大物になって行く姿は言葉通り
 ではないでしょうか。
  これまで大切な知識や技能ほど身近な人間にたくさん教えてもらって来
 たのでした。
  新卒時はバイスとダイスの区別も分かりませんでした。
  刃物は研げば研ぐほど切れなくなったのです。
  こんな事に出入りの業者が親身に付き合ってくれました。
  正に毎日奨学金をいただいて学んで来た私でした。

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