笑楽校の思想から



  学生の頃、一般教養の英語での話を紹介したい。1文ずつ訳していくのが講座

の教授の指示だった。N(彼も今は教授になっている)は始まるや否や手を挙げ

て「僕、訳します。」終わった後「こんなに熱心な学生が居るのなら今日の講義

はこれでおしまい!」皆で楽しく遊んだのは言うまでもない。

 後で分かったことだが、2人の言い分はこうだ。

 N→「最初の1行しか予習してこなかったのだから、どうしても答えたかった」

 教授→「教育学部の学生って、クソ真面目で融通が利かず、面白くも何もない

   のだが、骨のある奴が出てきて楽しみだ。」

 そんな話である。これを聞いた私の失敗談。機械実習室でバーベキューパーテ

ィをさせてもらえないかと頼みに行ったことがある。

 「何故、機械室でパーティーか?」「油が飛び散るので、機械室なら構わない

と思って。」「馬鹿言うな!何でも同じモノなら構わないというのか?じゃあな

溲瓶(しびん)に酒入れてかんしても飲めると言うんだな!」ほうほうていで帰

ってきた。Nと私のキャパシティーの違いを見せつけられたのだ。

 さてNの話はその後もある。「学級討議をするので時間をください。」「何バ

カなことを言っているのだ、出直してこい!」「ハイ」再度廊下に出て、研究室

のドアをノックしたのだ。この出直してきた彼に免じて特別に休講。

 大人の例を述べたが、こんな利発な児童は育てられないものか。それには私達

の視野をもっと広く、明るく機知に富んだ考えをして行かなければならない。

 普段何か近視眼的なゆとりのなさを感じていないだろうか。例えばハンドルに

くっつくようなポジションで運転している老人(ごめんなさい)がいる。カーブ

にさしかかると何度も何度も送りハンドルでゆっくりと…。後ろはお姫様の行列

のように沢山のイライラした車を引き連れて…である。

 子どもに「頑張れ!がんばれ!」っと言っても、こちらに大きな仕掛がなけれ

ばNのような子は育てられないだろう。策はないが、一つだけ巧く行った例をあ

げたい。「夏祭り集会」のことい。笹の葉にそれぞれの願いを書いた短冊を付け

た。「校長先生は何願ったの?」「そっと見せるから、誰にも言わないでね。ほ

〜ら」『フサフサと髪の毛が増えますように』「ふふふふ」見た子どもは私の悩

みの秘密を漏らさないように心配してくれている。ユーモアも通じるかな? 

 学級って、こうでなければならないのだろう。最も欠如しているのは私だと思

うからこその課題でもある。

 どうも毎日型にはまっていて頭が働かない。自身機転が利かない年齢だ。子ど

もを明るく利発に育てる環境を整備しなくては…と思うのだ。同時に先生方にも

考えて欲しいことである。



       笑楽校をめざして



 新潟駅の電車の中での話。長椅子に座っている私は、脇の隙間に中年の婦人が

座ろうとする気配を感じた。親切にと思い、その隙間を広くするように腰を少し

動かしてやった。ところが、婦人が腰を下ろそうとする姿を見たら、ダメ!隙間

の数倍の尻が今にも私の上に降って来るようだった。あわてて1メートルも移動

を追加したのだ。この姿をどんなに巧く表現しても面白くないだろう。ところが、

前席で見ていた人々は一斉に笑いころげたのだ。

 この話を町教研の挨拶にした。最も近い場に居た者だけが分かる共通の体験を

大切にしたい…そんな話の例にした。

 「夏祭り集会」では笹の葉にそれぞれの願いを書いた短冊を付けた。「校長先

生は何願ったの?」「そっと見せるから、誰にも言わないでね」『フサフサと髪

の毛が増えますように』とある札を見た子どもたちは皆私と秘密を共有した。

 その後、夏の想い出を語った。「…2年 服部芳雄 夏の絵日記。7月25日

蝉取りをしました。」1ページめくって、「7月26日 今日も蝉取りをしまし

た。」8月のページに入って、「まだ聞きたい?」「う〜ん、聞きたい!」「8

月11日今日も蝉取りをしました。」低学年の子が笑う。私はどうしてこんなの

が面白いか分からず、悦に入ってつい8月20日頃のページまでやったようだ。

 後で何人かの子が面白かったので家で話をしたと報告に来てくれた。5年生は

「あの絵日記に見せたノ本当は音楽の本なんだ。先生ネタがバレているんだよ。」

とも言ってきた。

 このような事は私の課題である。どうも毎日型にはまっていて頭が働かない。

 自身機転が利かない年齢だ。子どもを明るく利発に育てる環境を整備しなくて

は…と思うのだ。