そんな!子どもには子どもの論理がある…

 そう、皆子どもは親を乗り越えて行こうと、苦しんでいる。
 なのに、気安く「勉強せい、勉強せい」って言うモンじゃないと
思うよ。たまに「俺の子にしちゃあ、上出来だ!」って言って欲し
いものです。勉強しろ!って言う親に限って、子どもの頃はダメ
だったのだから。

        親の我が儘(?)   

 

 自発的に子どもが片づけたり、勉強したりしないでいる時に「やりなさい!」っ

と強制することは『親の我が儘』だと言われたらどうだろう。そんな子どもの姿を

見たくない親のエゴなのだと国立小児科病院長が話しておられる。

 いいや、これはしつけだと言われる方もあろう。違うのだ。

 しつけとはもっと生きるための基本であったり、マナーであったりするのだろう。

 指図の連続では子どもの内部から行動に移るエネルギーは生まれない。

 独立心、責任感などが今の子どもには弱いとよく言われる。

 強くするように育てなかったからで、確かに子どもを非難しても後のまつりである。

今回ズキ〜ンと響いた言葉だ。

 分かっているようで、意外と思い違いも多い生活の話だ。

 具体的に子どもにあてはめ、子育ての視点を変えてみたらどうかと提言したい。

 併せて遠足のことである。雨と暴風も体験した。雨の遠足だからこそ、湧いてくる

美しい雲の姿などを初めて見た子もいる。耐えて自信がついた子もいる。

 何が子どもを幸せにする要素か?私たちももっと研究したい。

 子どもには「いいことでばかりが毎日続くわけではない。辛い時にこそ我慢してや

り抜ける人に、辛いことを喜びに変える人になりましょう。」と話した。

 


     一連の少年の非行問題について(参考資料)  神戸の連続殺人事件の容疑者が中学生ということで、全国の大人を戦慄させた ニュースがまださめないうちに、栃木県では先生がナイフで刺されて死亡する等 子どもの凶悪犯罪が続いております。昨日も埼玉県で中学生が教室で殺されまし た。今年は24都道府県で40件の少年がナイフ事件を起こし、中学生だけでも19件 を数えています。  今この事件にあわせて、「学校で持ち物検査をするのか」という議論が盛んに 行われています。このことについて当校でも、学習に必要のないものを教室に持 ち込むことは好ましくないことをこれまで指導してきました。  今後も担任と子どもとの温かな人間関係の中で、必要がある子には指導して行 きたいと思います。(一斉に調べるようなことは必要としていません)  他人事のような事件ですが、やがて子どもも成長して自我に目覚めます。親の 思うようにならなくなった時にしっかりと行動できる人間になっているかどうか は幼少期の育ち方で決まります。今このような時にこそ再度、家庭で「子育ての 見直し」をお願いしたいのです。  去る3月7日に県警少年課 堀尾 江美様から「県下の少年犯罪と少年の心理」 と題して、講演をいただきました。そのあらましをここに載せます。昨今の少年 犯罪の問題を子育てにおける重大な警鐘として捉えていただきたいのです。 [現状]  新潟県も少年の凶悪犯罪(強盗・強姦・放火・殺人)は少ない方ではない。  今年度、3件の少年による「おやじ狩」があったし、中・高生間の覚醒剤もひ と事ではなく進行している。外人が紙片を渡す、そこに行くと3千円位でいとも 簡単に手に入る。少年らは殆どがアルミホイルの上であぶって、煙を吸う。また 弁当に入れる小さな醤油の容器に入れて販売・流通させている(金魚)ともいう。  子どもの意識は軽いもので、「Sパーティーに行って来る」や痩せる薬に…と いう程度の捉えで、一生依存症になるような例もある。 「寝た子を起こすな」論もあるが、寝た子を起こしてまで今教育する必要に来て いる。  テレクラ、援助交際の捉え方がヒトに喜んでもらった…などと誤っており、事 件の中心、即ち売春行為という面を理解していない例もある。これらで昨年補導 されたのは58人。中に本当に喜んでいるとした子が41人もいたことが問題の 在り方を表していないだろうか。  大阪では「ポケベルクラブ」という組織が摘発され、200人も補導された時、 「娘の援助交際が何故悪い」と喰ってかかった親も居たという。 [刃物事件について]  6センチ以上の刃物所持で13人補導(中学生4、高校生5、専門校生3、無 1)した。例のバタフライナイフは格好が良い…とかビデオを借りに行く時に用 心のために…とか、学校・学級の対立抗争時に使う…という理由である。  一部、目的は同じだがサバイバルナイフをもっていた子もいた。  新発田の中学校の事件ではコンビニで上級生と「奢ってくれ!」「くるな!」 「切るぞ!」「切るなら切れ!」という弾みでなったという。中3生がしっかり と学校へ報告してくれたこと。全校で事件を考える時間をじっくりともてた事が 良い事だった。 [事件が起こる背景]  小1の子が出刃で母親に向かって「金を出せ!」という事件があった。子ども はいつもニコニコしており、何で?という気もしたが、いつもゲーム場を保育所 代わりにして放っておいた事実があり、お金を欲しさが増すなど、母親も多くの 点に反省した例がある。  つまり、これらの問題は親の考えのゆるみが根底に潜んでいるともいえる。  例をあげると、レディスコミック類を皆さんは読んだ(見た)ことがあろうか。  どの本も漫画のリアルな性描写が中心で、そのストーリーがSMであり、近親 相姦であり、凄いポルノ本なのだ。これを買う人の層を或大学で調査したが、驚 いたことは極普通のおばさん(=母親の層)…が殆んどである。だから、子ども の教育に不手際もあろうと言えよう。  最近、保健所への相談には「子育てがうっとうしい。」「子育てが難しい。」 と親の役割を放棄するような訴えが多く、困っているそうだ。  「しっかりと子どもが育てられていない」ことが事件の根になっている。 [事件を防ぐには]   親が、子どもと真剣に向かい合い、困難なことを乗りきる力を付けるよう、キ チンとしつけ、温かな親の愛を与えることが必要である。  3才までは体罰の必要がある。親が責任をもって悪い事は悪いと教えるベキな のだ。この辺りが今とても曖昧になっている。子どもに教えることは  (1) 遵法精神を身につけさせる事である。それは家庭生活のルールから身に付   く。風呂沸かし役の子がさぼったら、家族全員が風呂を我慢する位の覚悟が   ないと徹底しない。  (2) やった行為を正しく評価してやる。頑張っても、他の子と較べて評価する   ような事をしない。途中の努力こそ親が分かるのだから。  (3) 自主性を育てる。命令、禁止で子どもを育てる事はできない。子どもに考   えさせる。思いを表現させる。  (4) 情緒面の教育を十分に。思いやりや優しさは、しなさいと言ってできるも   のではないからだ。  これらには特に父親の在り方(役割)が問われる。・仕事をしている真剣な男 の姿を見せること(母親が伝える事も)。・夫婦間に感情のズレがないこと。 (陰にこもった悪感情はダメ)・父親が子どものサービス役だけにならない事。 等は十分注意して欲しい。    (文責:服部  細かな例話は省略した。)





 桃の花を見たことありますか



  我が家のすぐ近くには桃の産地があり、春はまさに桃源郷に迷い込んだような気分を

味合うことができる。しかし学校へ努めていれば、この時期は日曜日だからと、のんび

り桃の花などを眺めておれない時期である。盆・暮れなしに部活動で育てあげたチーム

のデビュー戦である。新しく持った学級作りの試練の時でもある。瞬時も手を抜いて花

を眺めておれる時間などなかった。これは誰でも自分を重ね合わせて分かる体験であろう。

 一番の苦しい思いでは、附属学校でのことである。一緒に勤めた者は誰もが、あの

「ときわヶ丘」の桜の満開を目にして、目に映っていなかったなあと述懐するのだ。

 それは、春に新しい指導論を提案するからである。温めていた教育理論も1,2回発

表すると、もうネタが切れてしまう。数十年間の各先輩の業績を冊子で繰って、その隙

間に新たな、提案する指導がないか探すのも疲れた頃に締め切りがやってくるのだ。

 そして、作りあげた理論が実証できるかを実際の授業に当てはめて構成し、指導案に

作り上げるのが、春休みの頃である。何度かの失敗を経て、ようやく今年の方向が決ま

っても、全体の理論とズレていたり、大学の研究の方向に反していたり、市教研の課題

などと大きく違っていたらこれもペケである。大体、これらを総合して新しい教材を作

成できるかも大きな鍵である。私など、教材の一つに5センチ厚のアクリル材を探して

何日もさまよったことがある。(これは看板屋から手に入れた)

 これは自分の立てた論であるから、授業が成功しなくてはならない。そして、同じ理

論が秋の授業にも成り立たなくてはならないのだ。単元も教材も違うものに当てはめて

従来よりも成果のある指導法を研究会で見せるのである。これらが全て整合して、初め

て指導案が「案」として認められることとなるのだ。桜や桃の花を見ている暇はないの

である。自慢話をしている訳ではない。こういう課題を抱えて学級をもっている時に、

「後で仕事をかたずけよう…」と言う考えは全く通用しないのである。子どもは真に自

分のことを見てくれているのか、その場逃れの対応なのか厳しく嗅ぎ取ってしまうから

である。真剣に学級や教科の実践に取り組み、その延長に発表会があると感じてくれた

場合には驚くような協力を惜しまないのだ。その反対がどうなるかも想像できよう。

 私は体育大会の前はよく、(顧問だった)バレーコート脇に机を持っていって、コー

チをしながら文章を書いた。自分をさらけ出さないとやって行けない極限である。

 ハードな教師の仕事は底なし沼のようではない。学級作りと教科や教材に関しては一

つ成功した経験は必ず他の事に転移するものである。

 例えば、道徳指導に悩んでいると、そのうち出口が見えてくるものである。

 「センセ、この前は迷ったなあ、今日の道徳は何を考えるの?」子どもの方から話し

掛けてくる。人生を語る…大きく言えば道徳はそんな子どもとの時間になってくれるの

だ。「私たちが手抜きをしないことが一番大切な事だ」と言いたいのである。

 新任の挨拶の時に言ったと思う、「皆さんと一緒に勉強しましょう」自分も勉強する

ゾって言ったこと忘れないようにしたいと思う。 

 
 続く