長崎幼児殺害事件について

                                                          

  9日、この殺害事件の概要が衝撃的な結末を加えて明らかにされた。

誘拐し、殺害した者が12歳の少年であったからだ。

  9日の夜は当校の児童も親子でその話をしたし、全員がショックを隠

しきれないで、また話題を私に投げかけてくれている。

 今当校の児童とは遠く離れた話であるが、この全国的な話題は無関係

とも言えない事件であり、物事の見方、考え方を問われる事もありそう

だ。

 そこで、全く私見であるが、コメントを挟んでみたい。



【責任は何処にあるのか】



 法的には責任は保護者である。神戸の少年事件以来、このことをマス

コミも強く表現できるようになったと言われている。作家の柳美里氏は

「韓国なら保護者批判が堂々となされるが、日本ではお角違いの学校あ

たりを責めるのがせいぜいだろう。」と語る。少年が通っていた中学校

の校長が謝罪しているが、被害者の保護者の気が済むものではなかろう。

 愛すべき我が国は悲しむ被害者を世間にさらし、加害者の人権は手厚

く守られている現状である。少年犯罪の増加はこんな所にも加速する要

因がありそうだ。



【少年を生み出す環境について】



 加害者の少年は「成績の良い、おとなしい子であった。」と言われる。

 これまでもたくさんのよい子が変貌し、犯罪を起こしてきた。

 当校もよい子を育てるプランに必死である。社会で育成しようとしてい

る「よい子」とは爆弾を抱えたような存在なのであろう。「よい子」を育

成する裏にある落とし穴が問題にされないで来たからである。

 自由に伸び伸び育てる事の裏には社会への義務感が忘れられたり、豊か

な環境を享受する裏にはものや人を見失う考えが働くなどである。これら

は全て大人社会のミニチュアの様に純真な子どもの世界観を功利主義や利

己主義に塗り替えて来たとも言えよう。

 子どもも年齢に応じて「よい子」を演じている。子どもらしく親との関

係で自由に自己主張をする時間が短すぎるのではないだろうか。そのギャ

ップが大なり小なり何処かで歪みの解消を求めている。本人も気づかない

場合さえある。

 ここに抜本的な改善策を講じないとモグラたたきの様に、事件を追うだ

けになってしまうだろう。



【司法も変わって欲しい】



 極刑をもってしても犯罪が減らないことは理解できる。しかし本当に万

人に平等な法体系になっているだろうか。ごり押しし、無法を続ける者が

結果的に普通の市民を犠牲にする事が日常化している今日だからこそ犯罪

が増加するばかりである。犯罪の増加、検挙率の減少は恐ろしい。犯罪が

増加すれば少年の規範意識も悪化の一途を辿るのは必然であろう。死刑廃

止論が根強いが、禁固百年のような極刑もあって良いと思う。

 私が苦渋した暴走族は年齢で役割分担をしていた。二十歳を過ぎたリーダ

ーは決して前面に出ない。年齢からして処罰されない者だけが先兵として派

手に騒ぎ回っている、甘えの構造なのである。彼らは少年院から家庭裁判所、

最悪でも保護司のお世話になる程度である。繰り返すことでハクがつくとい

う。



【心の教育をする場を設けなくては】



 事件があると、学校の道徳授業が云々という論議がよく起こってくる。日

本人は神や仏をみんな学校教育にすり替えたといわれるが、心や社会の規範

を学校だけで向上できるという考えは思い上がっていないだろうか。

 「バチが当たる。」」「良心が許さない。」「世間に恥ずかしい。」とい

う考えは死語に近くなっている。自己中心的な人間にとって、これらの考え

は全く無関係、次元の異なるものとなってきている。

 このことが問題なのである。

 諸外国では宗教こそがこの心を支える礎となっている。生と死、生き方を

家族で考えさせてくれる場が日本人にも必要なのである。



【ゲームを排除しよう】



 子どもたちはテレビゲームに毒されている。恐ろしい言葉も平気で使って

いる。

 ゲーム感覚で人を殺すことや、自分の生活をリセットすることが出来るよ

うな錯覚すらもっているかも知れない。人や生き物がかけがえのない生命を

もっていること、人とのつながりの中で自分が暮らしていることなど体験から

身に付ける社会性、人生観、世界観などを育てていない。

 仲間や先輩後輩と遊ぶことで身に付いた人との係わり方も殆ど形成されてい

ない。危険かも知れないが自然を相手に、人と人が関わり合って暮らす体験を

育ててやることが必要であろう。



【良いモデルを見せよう】



 自分の失敗を全て外罰的に評する子どもが増えている。人の努力を素直に

受け止められない子もいる。同様な考えや言動を何処かで体験しているので

あろう。

 優れた大人のモデルが子どもの周囲には少ないのではないだろうか。

 良いことは良いと感動を子どもに伝えたいものである。これが親の役目で

ある。

 殺伐としている世の中であるが、良いことはたくさん子どもに見せたい。

嬉しい、綺麗だ、巧みだ…と感じるような体験をたくさんさせたい。努力し

たら自分も出来たという体験なら一層価値があると思う。

 そして大きな希望をもたせたい。語らせたい。

 そんな環境作りは大人の仕事である。


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