【ごめんなさい。これは中学生に話したものです】

            エコマネーのこと
 
 日本でお金といえば「円」ですね。大根は300円、このマイクは5000円とか、
きまった価値があるから、お金なのです。
 お金があると、何でも買うことができると言われています。本当でしょうか。
 たとえば親切はお金で買えるでしょうか。やさしい心はお金で買えるでしょうか。
仲間との温かい友情はお金でやりとりできるでしょうか。
 親切をしていただいたお礼にお金をやったら、却って失礼なこともありますね。
 300円やったら、「え?私の親切って、大根と同じ位にしか思ってくれなかったん
だねえ。」とか…お金には「温かい心」が入っていないのです。
 ですから最近は温かい心が含まれた新しいお金「エコマネー」というものが
話題になってきています。
 やがて、みなさんも、この学校を巣立っていきます。学生や社会人として活躍する
所に、この「エコマネー」が使われているかもしれません。
 また、自分の生まれた、この潟東村を思った時、世界一すばらしい故郷にするた
めにも、ぜひ「エコマネー」が流通している村にするように働きかけをしていって欲し
いのです。
 では、温かい心のこもった「エコマネー」とはどんなものでしょうか。これから紹介し
ます。
 今はいくつかの自治体でしか使われていない、市や町で発行するお金です。
 北海道の栗山町、長野県の駒ヶ根市、飯田市、富山県の高岡市…など10市町村
程度です。
 まだ、お金に温かい心がどうして入っているのか分かりませんよね。
 このお金の使われ方を説明していくと理解出来ると思います。
 ここに「英語の勉強を教えて欲しいなあ」というA君がいたとします。町にそのことを
話すると、「教えてあげるよ」というBさんを紹介してくれます。
 A君はとても助かったので、Bさんにお礼の「エコマネー」を渡します。
 Bさんはある時、旅行に行くことになったので、飼っている犬を預かってくれる人を捜
します。Cさんが1週間預かってくださったので、その「エコマネー」をCさんに渡します。
Cさんは一人暮らしの老人で、誰か話相手がいてくれたら良いと思っていたのですが、
Dさんが相手をしてくれたので、「エコマネー」を
Dさんに渡します。Dさんは最近足腰が弱くて、買い物しても重い物を運べません。
 この荷物をA君から運んでもらったので、A君に「エコマネー」を渡しました。このよう
にして、A君の受けた親切は「エコマネー」を通してグルグルと回って、またA君に戻っ
てきたのです。もっといろいろ複雑な形で「エコマネー」は人々の間を循環すると思わ
れます。
 「エコマネー」はたくさんの人と人との間でグルグルと回れば回るほど、たくさんの親
切が行われて行くと考えられます。すばらしい社会ですよね。
 これが増えれば増えるほど、温かい、しっかりとした未来の世界が出来ていくと私は
信じています。
 A君の例をあげましたが、A君が「パソコンの使い方を教えて欲しい」とか、
弟が「本を読んで欲しい」とか考えてもいいと思います。一人暮らしの老人が寂しく誰も
気づかずに死んでいった…と言うニュースがよくありますが、「エコマネー」が流通すると、
そんな悲劇も無くなりますね。
 ゴミのリサイクルや環境作り、都市と山間僻地の交流や、スポーツ指導や様々なこと
が今、考えられ、実行されています。
 お金を盗んだ、だましてお金を取った、偽札を作った…などは、皆「お金があれば何
でもできる」という社会の一番悪い面です。

 お金があっても楽しくないし、悪いことをしたり、環境を汚したり、寂しい

人もたくさんいます。この「エコマネー」を通して、人と人が温かい心を通じ

させていく考えを、ぜひ潟東にも根付かせて欲しいと考えます。




           新宮のお名前について  1日に誕生した皇太子ご夫妻のお子さまの「命名の儀」が7日に行われました。  お名前は「愛子」、称号は「敬宮(としのみや)」と決まったのです。  愛子の愛は愛する。としの宮のとしは敬、敬うという字です。  このことは何度もテレビや新聞などで見て、皆さんも良く知っているかも知れま せん。  多くの人が、この世知辛い毎日に、温かい話だとか、人間関係が薄くなっている 今、人間に大切な「愛」や「敬」という字を国の大切な人の名前につけていただい たのは嬉しいと話していました。  小泉首相も「敬愛されるお子さまに育ってほしいですね。」っと言われてました。  仙台市にあるJR仙山線の駅に「愛子駅(あやしえき)」がありますが、記念に 切符を買い求める人で行列ができたそうです。夕方までで千枚も売れたそうです。  この名前の候補を考えられたのは、漢文学者の鎌田 正(東京教育大学名誉教授) だそうです。鎌田さんは皇太子のお名前を考えられた漢学者、諸橋徹治さん(下田 村に漢学記念館がありますので、ぜひ冬休みには出かけて欲しいですが…)のお弟 子さんになるそうです。  さて、この名前の出典を報道をもとに話しましょう。  出典は、孟子の「りろうしょうくのげ(離婁章句下)」からなのです。  孔子と言えば皆さんも歴史を通して知っている有名な昔の中国の思想家ですが、 その有名な思想家の中の一人が孟子だと理解してください。  儒学の教えを広めた書「孟子」は昔から、大学、中庸、論語、とともに四書とし て有名です。(孟子は紀元前372年〜289年に活躍した学者です。)  この孟子の中の「りろうしょうくのげ」の書かれている言葉は次のようなもので す。  『孟子曰く、君子の人に異なる所以(ゆえん)の者は、その心を存するを以(もつ) てなり。君子は仁を以て心を存し。礼を以て心を存す。仁者は人を愛し、礼有る者 は人を敬す。人を愛する者は人恒(つね)に之を愛し、人を愛する者は、人恒に之 を敬す。』と人間社会の中で大切な道徳、敬と愛の重要性を述べている文から引用 されたのです。  名前の話を続けます。皆さんの名前も一人一人に大きな意味があってつけられて います。  この新宮様の名前の理由を考えると共に、自分の名前にはどんな意味があるのか を考えてください。親のどんな願いが込められているのかも調べてください。  家に帰って尋ねることも、漢和辞書を引くことも大きな意味があることと考えま す。    一例として、私が担任した生徒の名前について話をしましょう。生徒の名前は実 といいます。お父さんの名前が真実(まさみ)です。その生徒が3年生になったら 妹が入学してきました。驚きました。実子というのです。  名前について話を聞いたことがあります。嘘をつかない人間がいい。本当の事は 何があっても本当で、正直が一番強いのである。努力すればやがて実現してくるの が子どもの未来であるから「実」にこだわったのだ…と言うのです。

      



               
           文化祭開会の挨拶
 
 昨年の卒業生にあげた文集に「創るのは難しい、でも楽しい。壊すのは
易しい、でも虚しい。」という言葉を書きました。
 そうです、皆さんが一生懸命創った作品はその人の心が表れています。
出来上がった時の喜びは言いようがないものです。
 さて、浜崎あゆみ という歌手を知ってますか?私は彼女の歌の詩がとて
も好きです。ユウという曲を紹介しましょう。
 
君のその横顔が    悲しい程キレイで  何ひとつ言葉かけられなくて
気付けば涙あふれてる きっとみんなが思っているよりずっと 
キズついてたね 疲れていたね   気付かずにいてごめんね
 
春の風包まれて 遥かな夢描いて  夏の雲途切れては 消えていった
秋の空切なくて 冬の海冷たくて  夢中になっていく程 時は経っていたね
 
たくさんの出来事を くぐり抜けてきたんだ  そして今ココにいる君の事
誇りに思う いつの日も 人ってきっと言葉にならない様な 
思い出だとか 気持ちを抱え  そうして生きていくんだね
 
遠回りばかりして疲れる時もあるね  だけど最後にたどり着く場所って…
そばにいるだけでただ 心が癒されてく そんな支えにいつか なりたいと
願うよ
 
春の風包まれて 遥かな夢描いて  夏の雲途切れては 消えていった
秋の空切なくて 冬の海冷たくて 夢中になっていく程 時は経っていたね
   
 というものです。
 渋谷辺りの高校生は「あゆ の歌のお陰で、強く生きられる、辛いけど頑
張ろうという気持ちになれる。学校へ行こうという気になれる。心が癒される…」
などと言っています。とても人気があるのですね。
 彼女の歌はもちろん彼女が全部作曲します。そしてその歌詞は仲間の細
やかな心を大切にすることや、お互いへの思いやりをしっかりもつことが基に
なっています。だから、高校生の心を支えてくれる歌になっているのです。
 そして、渋谷にいたガングロや山姥娘は少なくなって、彼女のような上品な
姿に見習おうと変わって来ていると言われています。
 そうなのです、心が引きつけられる、癒されるなどと自分と相手との関わりを
大切にすることから何かが変わってくることが文化なのです。
 今日は仲間の大切にしているものは何か、一生懸命に取り組んだものはこ
れだ、などと作品を通して、お互いを分かり合える良い機会です。

 そうやって自分たちの姿が磨かれ、より高められていくための文化

祭としたいものです。




      「悪い子」を家でさせて欲しい

 若者による凶悪事件が続き、加害者の心のあり方が論議がされるようにな
りました。
 直接事件を起こさないまでも、心情的には同じ状況に追い込まれる少年
が多いからです。
 「キレる」と言う語が良く使われました。普段は我慢しているが、何かのき
っかけで爆発してしまい、無差別な行動に走ってしまうのです。
 これには様々なケースがありそうです。我が儘で、自己中心的で常識が
通じない者も含まれます。こういう輩についての話は別の機会にしたいと思
います。
 そうではなく、危機に満ちている少年も多いのです。
 普通の少年でも危うい、「キレる」寸前の子がいると私も思います。
 この社会の不条理をよくもまあ我慢して、耐えに耐えていると褒めてあげ
たい子がたくさんいるのです。
 「君の苦しみは少しだけれどわかる気がするよ。」っと声をかけてやりたい
くらいです。
 他校の例をあげます。母親がカップラーメンを3個子どもに与えて旅行に
行って帰って来ない。今夜は食べるものが無いと万引きをした子がいました。
子どもを叱るのは筋違いかも知れません。
 次々に居住地を変え、住所を隠して暮らす一家がありました。折角出来
た友達と何故別れなくちゃならないんだ…吐き捨てるような言葉が耳に痛
く響きました。などなどあげればきりがありません。
 今の子どもは親に迷惑をかけないように、親の仕事に支障がないようにと
幼少の頃から気をつかって生活しています。更に褒められるように「よい子」
になろうと努力し、もう疲れ果てている子も多いと言われています。
 私も同じ見方をしています。万引きをした子が「親にだけは言わないで欲
しい。心配をかけたくないから。」などと言うのは典型例です。 親に気遣い、
友達に気遣い、思った事を抑えて誰にも好かれる「よい子」を演じている子
があまりにも多いのではないでしょうか。
 こんな八方美人では気遣いに序列が無くなってしまいます。教える立場
などは吹き飛んでいますが、それは譲っても、せめて教師が仲介などしな
くても友達にもっと心を開いてくれないものでしょうか。友達とは同列、互い
にもっと心底話し合っても良いのではないでしょうか。
 そして親に向かって喜怒哀楽を素直にぶつければもっと良いのに…
 学校生活だけ悪い子もいます。
 家で本当の自分をさらけ出して欲しいのです。さらけ出し難くしている親
子関係なのかも知れません。
 親だって子どもから教えられながら「本当の親」に成長するのですから、
気遣ってもらったら楽しみや学びも半減してしまう筈です。




           PとTの悩み 

 春に高校生になった卒業生が時々遊びに中学校へやって来ます。
 だんだん足が遠のいて行くのでしょうが、やはり中学校の思い出は大切
にしているようです。楽しかった出来事がたくさんあったのでしょう。
 この大人っぽくなった姿や制服を見てくれ!って気持ちが露わな生徒も
多いのです。
 この姿を見ていると、中学生活の毎日は生徒たちに確かな力と豊かな心
を与えてくれていたと思います。たくさんの思い出を抱えて卒業して行った
のでしょう。嬉しい気持ちです。
 中には誰だっけ?と私たちが驚くような出で立ちでやって来る生徒もいま
す。
 茶髪、ピアスの穴を空けた生徒、舞台役者のような派手な化粧の生徒な
どです。卒業すると即刻自己顕示でしょうか。中学校では自己の存在感を
そんな安易な方法でしか表現したり、感じない生徒に育てたくなかったの
です。大人になって卒業した筈なのに、糸の切れたタコのように、「したい、
欲しい」という欲望を抑えられない自己中心主義では寂しいな…ふと思っ
てしまいます。
 保護者の気持ちはこの数百倍のことかもしれないと暗くなります。
 何々(生徒名)はどうしている?って聞いても知らないって答えが返って
来る生徒もいます。あれ程中学校では一緒で仲が良かったのに、進学先
が違うともう連絡もし合わない関係になってしまうのでしょうか。
 功利的なのか浅い友情なのかと考えさせられてしまうのです。
 新学期の忙しい最中、仕事の手を休めて話を聞いてくれる先生方も大し
た人物だと感心します。
 「学校に来たら、4月からはソファーに座ってもいいよ。お茶も出してやる
よ。お客様だからね。」とこの高校生にエールを送ってくれているのです。
 この様子から中学校の生徒と先生方の気持ちの通い合いや、まだまだ危
なげなままで外に出ていく高校生の姿を分かっていただきたいのです。
 親にとっても教師にとっても子どもは幾つになっても心配でたまらないも
のです。
 できれば、在学中からしっかりとした社会規範や人生設計を身につけて
くれたら安心だと思うのはPとTの共通な目的ではないでしょうか。

 PTA活動は形骸化しているという指摘もよく聞かれますが、

PとTの共通の思いはたくさんあります。このような思いを共有し、

活動に生かして行くことこそ中学校のPTAの特徴になると思う

のです。 皆様今年度もよろしくお願いします。




朝会の話から(H13,7,23) 6月最後の日にあった校内意見発表会の代表の意見には皆感 動しました。  いろいろ感動があるのですが、今日は1年2組の吉田誠子さ んの「恵まれない子ども達」という発表をもう一度振り返って みたいと思います。  開発途上国、たとえばアフリカでは子どもが大人になるまで に100人中91人が死んでしまう…ということでした。日本では たった4人の死亡に比べて、たくさんの子ども達が恵まれない 生活を送っているからですね。  そして、私たちは日常生活の見直しから、ユニセフ募金に参 加するなどで僅かですが援助できるのではないかということで した。  たとえばテント、食料、水、医薬品、毛皮を送ることや、井 戸を掘ることや学校を作る対策に加われるからです。たった27 円あれば肺炎の子の薬(抗生物質ですが)を5日分も買えると 言ってましたよね。  そのユニセフ基金には私も毎年勧誘を受けています。そして 地雷で不幸な目にあった子にも手を伸ばそうっと言う話も一緒 に考えて欲しいと思うのです。  地雷は地面の中に埋められています。普通に外で生活してい るだけなのに、それを踏んで命を落としたり、手足を無くした り、眼が見えなくなったりする人が20分に1人の割で出ている のだそうです。  たとえば一番酷いカンボジアの子ども達はとても明るくて、 たくましいのですが、384人に1人はその被害に遭っているの です。地雷は800万〜1000万個が埋められています。  全世界で1億個はあるというこの地雷ですが、1個処理する のに丸1日もかかることが多く、1年で10万個処理するのが やっとということです。ですから1000年かかっても処理できな いものなのです。それなのに作っている国が16か国もあります。 中国、ロシア、エジプト、インド、アメリカ、ユーゴスラビア、 北朝鮮、韓国などです。悲惨な武器は止めようと97'のオタワ 条約で調印されたのですが、中国、ロシア、アメリカなどは条 約に調印していません。  これらの国に平和を呼びかけていくこともこれからの私たち の使命でしょう。  カンボジアは何故こんな悲惨な事が続くのかと言えば、国の 中でまだ戦争をしているからなのです。戦争は多くの人の幸せ を奪って、悲惨な結果だけを残していきます。  56年前に日本が世界を相手に戦争をし、やっとポツダム宣 言を受諾して太平洋戦争が終わったのが、8月の15日でした。 終戦記念日と言います。この終戦へ向けて1945年、8月6日に は広島に原爆が、8月9日には長崎にも原爆が落とされ、一瞬 のうちに数十万人が亡くなっています。陰だけが石に焼き付い て残っている例もあります。  1937年に日本は中国に出て廬溝橋事件を起こしました。そこ から長い戦争を始めたと考えれば、実に8年間も戦争をしてい た訳で、当事者とは言え、日本の犠牲者は約310万人もにの ぼります。親と子が、兄弟や恋人、友人がこの戦争のお陰でど んなに悲しい別れをしたのかは言うまでもありません。  いずれにしろ、このような悲惨な戦争を二度と繰り返しては ならないのです。 その事を8月15日は後生に語り継ぐ大切 な指標となっています。  夏休み、8月の6日、9日の原爆慰霊祭とともに、平和への 心をしっかりともち続けなければならないとこの歴史は私たち に語っています。皆さんも平和を考える日としてこの日をしっ かりと受け止めてください。